
大学受験のころの話はだいぶ書きましたので、今度は就活体験記のほうを書いていこうかと思います。
過去の記事で就活系のものが見ていただくことが多かったので今回は就活に関するものをまとめていきます。
ただ私の勤めていた塾会社は特定されたら困りますので結局行かなかったところをつらつら書いていきます。
これから大学生になるかた、また大学生で就職活動を目指す方は参考にしてください。
でもまぁ記事内容はかなり憂鬱な話なのと私の感情がだいぶ入ったものなので
そこだけご了承ください。
前置き・なぜ就活の話をきじにしているのか(飛ばしていいです)
私自身浪人時代就職の話を予備校の先生から聞けたことが大きいです。
現在代ゼミで英語講師をされている谷川学先生です。

SEGAに就職した友達の話とかとても聞いてて面白かったです。
この人も昔は代ゼミでなく、私の通っていた今は亡き予備校で登壇されていました。
東大の問題を扱った時に「これは難しい!さすが東大!!」とにやつきながら講義していました。
てかマジでわかりやすいいし、この人は単語の覚え方を教えてくれたので素晴らしかったです。
私のブログの最初に書いたあの単語の覚え方は谷川先生から教えてもらったものをアレンジしたものです。
本当は教えてもらったものだからどうしようかなとも思いましたが、
あのやり方に似たものをほかの先生もやってましたし、一般人もやってましたし、
私もあそこから改良を加えたのでまぁいいか(笑)と思い掲載しております。
なので就活の話も参考になればと思い書いております。
私の就活体験記
以前もお話した通り私は大学受験時一浪、就職活動時二年浪人しておりました。
新卒で就職した時は25~26です。
最近、私のブログを見ている方には多浪のかたもいるのでと思い書かせていただきました。
正直多浪よりは私のような就活浪人既卒のほうが就活は難しいと思います。
ですが新卒扱いで就職できたのでその時のことを書いていこうと思います。
純粋な新卒(一浪時)
この時は公務員試験(特別区と地方上級ABC日程)と民間企業二社
具体的には地方上級は地元の政令指定都市と市役所、民間はゼネコンの銭高組さんとブラインドメーカーの立川ブラインド工業さんです。
このうち立川ブラインド工業さんは内定をいただけました。
今思えば資本金44憶、東証一部上場って普通に大企業ですよね。
ここにいってても良かったかもとは思います(笑)
でも結局辞退しちゃいました。
というのも理由があって。
一つは公務員試験に落ちたというレッテルがあったこと。筆記で落ちたんですけどね。もう一つはすぐに民間の内定もらえたから頑張ったらもっといい企業にいけるんじゃないかと思ったことですね。
普通に勉強してなかったです。いやしてはいたけどなんか頭に入らないし、それ以上に大学の単位をとることに集中してそちらの勉強ばっかしてましたね。
自分はしっかり時間があったらもっといいとこにも行けてたかもしれない。
そんな気持ちになって親に謝り「あと一年やらせてくれ」
と浪人を決めたんですよね。
それでそのあとゼミの授業で三回生に就職したところを発表していく時があったんですよね。
ほんとは休めばいいものを、単位がひどかったんで出席したんです(笑)
それで発表を聞いていたんですが、
みんな国家公務員だとか県庁とか政令指定都市職員とか、民間も超人気企業とかだらけで
私だけ公務員試験全落ち、民間企業はうかったところの名前をいってもわからないというので完全に負け認定されていました。
授業終了後、後輩たちがみんな公務員や超大手民間企業の就職体験をききにいってるのに私だけ誰も来ない
正直死のうかとおもうくらい哀れでした。
しまいには後輩がききにきたとき「〇〇(超大手人企業にうかった私の友人)さんのお話聞きたいんですがどうすればよろしいでしょうか」
とか
私がアドバイスしようとしたらみんなの前で「それは××だろ」みたいに
公務員内定者の友人が私の意見を否定する
などもあり完全に死んでました。

まぁ単位ちゃんととれてないくせに無駄に公務員という勉強時間をしっかりとれなければいけない選択をしていた私がいけないんですけどね。
あの状況なら民間一本に絞るか大学院進学の選択をすべきだったなと思います。
そんなこんなで
「絶対誰もがうらやむようなとこにいってやる!」みたいに考え、大手の企業と公務員の併願をするため、四条(京都市内)の公務員予備校に貯めてたお金をはたいて通いました。
でも卒業できないと嫌だったので予備校に行ったのは12月とかめちゃおそかったと思います。
卒業後すぐの時(一浪+一年就活浪人)
この時は確か公務員に絞り国総、一般職、都庁、地方上級を受けたと思います。
結果は惨敗でした。またしても筆記。
ただ今回は面接にすすんだところもありました。落ちちゃいましたけどね。
筆記に関してはもともと私文3教科型だったため14教科くらいやることがとても大変でした。
まぁいまはその科目数でもこなせるやり方を見つけたんですが、
大学受験を科目数減らして努力量で暗記乗り切りしていたのでその報いですかね。
ただ、この時多科目を同時にやって成績を伸ばしていくやり方を発見できたのでそれはいまの仕事につながりよかったです。
それよりもこの時期はくそほど病んでました。
やっぱみんな就職してるし、働いてない自分が嫌だったのと
実は本当は京都市とかで働きたかったんですけど、家族のこともあってそちらを優先して受ける場所を変えたりとか
将来の自分の目標に実家を立て直して、なおかつ自分は都会に家をもつ
みたいな創大な計画があったんですが、公務員だとそれは難しそうとか思い。
もともと街づくりとかを見ていくのが好きだったので文系でも直結する仕事をと思い志望しました。
でも調べていけば調べていくほど、やりたい仕事ができないとか仕事上柔軟性があまりないとか自分にとってデメリットになりそうなもののほうが目に入ってきてやる気がなくなってきていました。
結局また一年のびてやることに
ただお金を稼がないのは悪いから少し家から離れたところの個別指導でアルバイトを始めました。
結果そっちですごい生徒から評価されたり、成績伸ばしまくったりしたんでそのバイトは楽しかったです。
卒業して一年後(一浪+二年就活浪人)
民間メインで何十社か受けていました。
で、確かこの時に結構難関な民間を通りまくったんですよね。
阪急電鉄総合職、カゴメ、ネクスコ中日本、ネクスコ東日本、阪神高速道路、キッコーマン、南山大学職員、奥村組(ゼネコン)あたりは選考進みましたね。
自分でもびっくりするような超人気企業ばかり通ってたんで最初からうけときゃ良かったと思いました。
それに並行して大手の塾会社を何社か(ここは勤めていたところがあるのでもろにばれちゃうから隠します)うけました。
この中で最終とかその手前までいったのは阪急電鉄総合職とカゴメとネクスコ中日本、阪神高速、南山大学職員ですかね
街づくりができて、ディベロッパー的な仕事ができ、給料も高くて安定したところをと思いインフラ総合職を受けまくってました。
あとはホワイトで有名な大学職員と飲食メーカーです。
でも全部人気だから今回は確実に受かれそうな人材難な業界をと思い塾業界を受けました。
ちなみに阪急は学歴がすごかったです(笑)
一橋、阪大、早稲田、慶應、東北、横国、筑波、…
MARCHとも出会えないってめちゃ学歴みてるんだなと思いました。
カゴメは一人二人としか話せてなかったですがどっちも東大でした(笑)
しかも片方は法学部で司法試験受かって就職しにきたとのこと!
そのまま弁護士なれよ!と心の中で突っ込んでました(笑)
ネクスコ中日本は確か東京学芸大と中央
阪神高速道路は滋賀大経済
南山大学職員は名古屋大
とまぁこれでもかと高学歴しかいませんでした。
ちなみに阪急はたしか早稲田の人が受かってたのだけしってます。
インターン経験者で連絡が来てたと聞きました。
結局ここで考えてたのは有名な企業で見返すということも考えてたのですが、
その感情を持って決めるのはどうなんだろうと思ってしまいました。
ここも開き直ってプライド高いなら高いで従えばよかったのに20代前半の私は本当に幼稚でした。
あとは個別指導のバイトで生徒に教えていた時に純粋にやりがいと楽しさ、何十年もやっているベテランもいる中で周りの先生方と比べても評価されていること。
に達成感と満足感を感じておりました。
また、就活をつづけていくなかで
本当に行きたい会社にいってもやりたい仕事ができない
むしろやりたくない仕事のほうが多い
それならやりたくなくても頑張れそうな仕事を選ぼう
と思い塾会社に就職しました。
いきなり有名予備校の講師は無理だろうなと思っていたので
まずは塾会社に就職し、そこで実績をあげて転職をと思いました。
将来は大きな教室で授業できるような先生を目指していました。
大手の予備校講師とか、そのころはお金持ちのイメージがあったので、家を建て直すこともできるだろうとおもっていました。
既卒中途もいけましたが、たとえアルバイトとはいえ生徒を途中で見捨てることはできないと思い、最終で「今の生徒を放ってこれません。新卒でいれてください。」と打診しました。
結果新卒で入れてよかったです。やはり仕事は大変できつく、たとえ嫌な仕事でもやり切れそうと思ってもかなりきつかったので
そんなとき同期の仲良しがいると救われました。
+3の高年齢就活でも受かれます
受かれます。
受かりました。
有名なとこにも最終までいって落とされたときは年齢とは思いませんでした。
単純に私の軸がぶれてやる気が傾いていたこと、幼稚なプライドの高い人間だったことが敗因だと思います。
ただ、私がそうやって成長してきて本当によかったと思います。
高校生の時、大学生の時、社会人で尊敬できない人間などを見抜くことができました。
幼稚なプライドが見え隠れしてたり、自分さえよければと棚上げする人間、いじめに近いようなマネジメント方法をする人間がわかりました。そういう人間は人のために動きません。すべて自分のため、自分の地位を守るため
そういうのがわかります。
その人たちのすべてを否定するつもりはありません。良いところのほうが多いとおもいます。
でも少しでも敬意を表せないところがでてしまうとそこばかり意識してしまう。
私だけでなく、周りの人間たちもそうでしょう。
だから私だけでもそういうのはやめようと思いました。
それをやるだけで会社で成果を上げられました。その人たちよりも成果を上げました。
私を馬鹿にしてあざ笑っていた人たちも私より成果が低いとさすがにやさしくなります。
ただ学ぶことも多かったのは事実、私から彼らを責めることはできないでしょう。学ばせていただいたのだからそこは配慮します。
長かったですがすこしずつ私が形成されてきた気分です。
まだまだ私も幼稚なところは多く、直すべきところのほうが多いと思います。
ですが、もうすぐ20代が終わりますが、ようやく自分の精神の成長、いままで自分のなにが悪かったのかがだんだんわかってきたと思います。
就活浪人や多浪になると周りからの攻めもくるので考え込んでしまうことも多くあると思います。
小さいことでも自分の反省点を上げるようにしていってください。
その時無駄なプライドを捨ててください。
それを積み重ねていけばなにか見えてくると思います。
何かをあきらめても何かを成し遂げる存在にはなれるはずです。
目標を目指しつつ、社会的にも、金銭的にも、精神的にも追い詰められ、
もう何もしたくない、もうやめてしまいたいと思ったら。
ぜひ上記のことをやってみてください。
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